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OUR STORY

Shinohara Textile

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FUKUYAMA,HIROSHIMA

“デニム生地”の産地として
世界に向けて発信を。

04

広島県福山市。日本でデニム生地を生産しているのは、福山市と岡山県の一部地域だけ。そんな福山市で、1907年、絣織(かすりおり)の機屋として創業した篠原テキスタイルは、福山デニムの未来を背負って立つ注目のテキスタイルメーカーです。
篠原テキスタイルの専務取締役である篠原由起さんと、YARN HOMEのデザイナー荒川は、同じ広島に生まれた同い年。共通点の多い若い2人が、福山デニムと日本のものづくりの未来について語り合いました。

絣織がデニムに変貌。

 

「広島県の福山は、もともと絣織の産地でした。絣って知っていますか?ほら、畑仕事をする人が着ていた野良着の生地です」。広島県の福山市は、古くから、綿を育て、糸を作り、染めて、織って、縫ってきたテキスタイルの産地です。「それが、1960年代にアメリカからジーンズ文化が入ってきて、絣織と藍染の技術を活用してデニム生地の一大産地へと変貌したのです」。
なるほど。福山デニムは、日本の伝統的な織物文化が新たな価値へと昇華して生まれたものなんですね。

そんな福山デニムは、世界から注目を集めています。「ビッグメゾンのジーンズは、ほとんど福山・岡山で織られたデニムを使用しています。こんな田舎で作っているなんて、誰も思わないですよね(笑)」。無邪気に笑う篠原さん。
しかし、現状に甘んじる様子は微塵もみられません。「実は、福山デニムの生産量は年々減っているんです。デニムの流通量自体は増えていますから、海外製に押されてきているということ」。原因は、日本製の価格の高さでしょうか。「確かに、値段もあると思います。でも、劣っている部分が他にもある。価格で勝負できないのなら、他で勝負するしかない。じゃあ何で勝負するか?それを付加価値という形で追求するのが僕らの仕事ですね」。言葉に、熱がこもります。

既成概念を、取っ払え。

 

ビロードのようになめらかで、エレガント。これが篠原さんのデニムの特徴です。YARN HOMEのお客様が、篠原さんのデニムを使ったベッドリネンに触れたとき、「これってほんとうにデニム?」と疑われたくらい。なめらかなデニム生地が生まれた訳を聞くと、「従来のカジュアルな印象を崩して、正装としても使えるデニムを作りたくて」。と篠原さん。実際に篠原テキスタイルのデニムは、広島の修道大学の壁紙や高級スパのベッドリネンなど、さまざまな場面に優美に溶け込んでいる。

大学卒業後、紡績会社に入社された篠原さん。機械整備、商品企画、営業とあらゆる仕事を経験し、ニット、タオル、横編、染色、布団といったさまざまな作り手との絆を大切に育まれました。綿からはじまるものづくりを幅広く学んだ篠原さんには、「デニム生地はこうあるべき」という既成概念がないようです。

そんな篠原さんでも、新しいデニムの創造には、数々の困難が伴ったといいます。発想しかり、技術しかり。洗っても破れない、でも柔らかい風合いのデニム生地は、使用する糸の太さ、密度、整理加工、そのすべてを幾度も調整した末に、再現されたもの。こうした地道な積み重ねこそが、デニムの常識を覆し得るのだと、深く合点がいきました。

“デニム生地”の産地として
世界に向けて発信を。

荒川の「私たちが生まれた広島を、この福山という町を、どう盛り上げていきたいですか?」と問いかけに対し、篠原さんはこう答えます。「福山は国内最大の“デニム生地”の産地でありながら、そのことはあまり広く知られていません。メーカーに使われなければ、産地としては、衰退してしまう。そうならないためにも、“デニム生地”の産地・福山として、その名を世界に広めたいです。高品質なものづくり、絶え間ない新商品の開発で、ここにしかない!ここに来れば欲しいものが見つかる!という場所にしなければいけない。その為には荒川さんのような、素材の良さを分かって使っていただける方に、我々の素材を使ったものづくりを発信していただきたいですね」。
福山で、大きな挑戦が始まっていました。

福山は、作り手の世代交代という課題にも直面していました。荒川は「技術そのものだけでなく、ものづくりに対する想いや姿勢も含めて受け継ぎ、伝承していくことが、若い人たちの役目ですよね」。と、“伝承”についての考えをぶつけます。それに対して篠原さん。「その通りですね。加えてこれからは、僕らみたいな若い世代が、どれだけ情報を吸い上げて、周りを巻き込んで、みんなで一緒に作れるかが、重要になると思っています。一人の職人、一つの会社で完結するのではなく。福山・広島を軸に、異業種の仲間と連携して、新しい製品を発信していきますよ」。みんなで一緒に作る手法が、日本のものづくりのスタンダードになる日もそう遠くなさそうです。

私たちYARN HOMEも、篠原さんをはじめとする若い作り手さんと共に、互いの得意分野を磨き合いながら、日本ルーツのものづくりにこだわっていきたいと思います。そして、若い発想力と伝統の技術力を掛け合わせることで、人々の心を豊かにするような商品を届けたいと思います。

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広島県福山市。日本でデニム生地を生産しているのは、福山市と岡山県の一部地域だけ。そんな福山市で、1907年、絣織(かすりおり)の機屋として創業した篠原テキスタイルは、福山デニムの未来を背負って立つ注目のテキスタイルメーカーです。
篠原テキスタイルの専務取締役である篠原由起さんと、YARN HOMEのデザイナー荒川は、同じ広島に生まれた同い年。共通点の多い若い2人が、福山デニムと日本のものづくりの未来について語り合いました。

絣織がデニムに変貌。

「広島県の福山は、もともと絣織の産地でした。絣って知っていますか?ほら、畑仕事をする人が着ていた野良着の生地です」。広島県の福山市は、古くから、綿を育て、糸を作り、染めて、織って、縫ってきたテキスタイルの産地です。「それが、1960年代にアメリカからジーンズ文化が入ってきて、絣織と藍染の技術を活用してデニム生地の一大産地へと変貌したのです」。
なるほど。福山デニムは、日本の伝統的な織物文化が新たな価値へと昇華して生まれたものなんですね。

 

 

そんな福山デニムは、世界から注目を集めています。「ビッグメゾンのジーンズは、ほとんど福山・岡山で織られたデニムを使用しています。こんな田舎で作っているなんて、誰も思わないですよね(笑)」。無邪気に笑う篠原さん。

 

 

しかし、現状に甘んじる様子は微塵もみられません。「実は、福山デニムの生産量は年々減っているんです。デニムの流通量自体は増えていますから、海外製に押されてきているということ」。原因は、日本製の価格の高さでしょうか。「確かに、値段もあると思います。でも、劣っている部分が他にもある。価格で勝負できないのなら、他で勝負するしかない。じゃあ何で勝負するか?それを付加価値という形で追求するのが僕らの仕事ですね」。言葉に、熱がこもります。

 

既成概念を、取っ払え。

 

ビロードのようになめらかで、エレガント。これが篠原さんのデニムの特徴です。YARN HOMEのお客様が、篠原さんのデニムを使ったベッドリネンに触れたとき、「これってほんとうにデニム?」と疑われたくらい。なめらかなデニム生地が生まれた訳を聞くと、「従来のカジュアルな印象を崩して、正装としても使えるデニムを作りたくて」。と篠原さん。実際に篠原テキスタイルのデニムは、広島の修道大学の壁紙や高級スパのベッドリネンなど、さまざまな場面に優美に溶け込んでいる。

 

 

大学卒業後、紡績会社に入社された篠原さん。機械整備、商品企画、営業とあらゆる仕事を経験し、ニット、タオル、横編、染色、布団といったさまざまな作り手との絆を大切に育まれました。綿からはじまるものづくりを幅広く学んだ篠原さんには、「デニム生地はこうあるべき」という既成概念がないようです。

そんな篠原さんでも、新しいデニムの創造には、数々の困難が伴ったといいます。発想しかり、技術しかり。洗っても破れない、でも柔らかい風合いのデニム生地は、使用する糸の太さ、密度、整理加工、そのすべてを幾度も調整した末に、再現されたもの。こうした地道な積み重ねこそが、デニムの常識を覆し得るのだと、深く合点がいきました。

“デニム生地”の産地として
世界に向けて発信を。

 

荒川の「私たちが生まれた広島を、この福山という町を、どう盛り上げていきたいですか?」と問いかけに対し、篠原さんはこう答えます。「福山は国内最大の“デニム生地”の産地でありながら、そのことはあまり広く知られていません。メーカーに使われなければ、産地としては、衰退してしまう。そうならないためにも、“デニム生地”の産地・福山として、その名を世界に広めたいです。高品質なものづくり、絶え間ない新商品の開発で、ここにしかない!ここに来れば欲しいものが見つかる!という場所にしなければいけない。その為には荒川さんのような、素材の良さを分かって使っていただける方に、我々の素材を使ったものづくりを発信していただきたいですね」。
福山で、大きな挑戦が始まっていました。

 

 

福山は、作り手の世代交代という課題にも直面していました。荒川は「技術そのものだけでなく、ものづくりに対する想いや姿勢も含めて受け継ぎ、伝承していくことが、若い人たちの役目ですよね」。と、“伝承”についての考えをぶつけます。それに対して篠原さん。「その通りですね。加えてこれからは、僕らみたいな若い世代が、どれだけ情報を吸い上げて、周りを巻き込んで、みんなで一緒に作れるかが、重要になると思っています。一人の職人、一つの会社で完結するのではなく。福山・広島を軸に、異業種の仲間と連携して、新しい製品を発信していきますよ」。みんなで一緒に作る手法が、日本のものづくりのスタンダードになる日もそう遠くなさそうです。

私たちYARN HOMEも、篠原さんをはじめとする若い作り手さんと共に、互いの得意分野を磨き合いながら、日本ルーツのものづくりにこだわっていきたいと思います。そして、若い発想力と伝統の技術力を掛け合わせることで、人々の心を豊かにするような商品を届けたいと思います。